漁師のまち浦安       高津勇さん(元漁師)のおはなし

〇日時:2023.3.15(水)午後2時~4時(開場1時45分)

〇場所:浦安市立中央図書館1F ワークスペース

〇参加物23名

 

内容

浦安出身、代々漁師の家に生まれた高津さんは、B29の空襲があった時に防空壕で生れたといわれたという昭和20年生まれ。当時、陸の孤島と言われ、東京や市川とは違う、独自の文化があったとのこと。

漁によって大きさが違う船の種類の違いから、採れたさまざまな貝の話、一時は全国1位にもなった海苔の養殖・加工まで多岐にわたるお話をしていただいた。

昭和30~40年代(1960年頃)人口が8,000人で内漁師が1,700~1,800人ぐらいだった浦安のさまざまなようす。例えば木更津まで遠征したこと、弁天地区の葭原には鴨が多く、禁猟期が明けると鉄砲の音が響いた話など、今では想像もつかない。

会場からの「「漁師さんの怪談はありますか?」という質問には、水死体を発見した時には「あなただったら連れて行ってくれる」と思って、その人が上がってきたのだと思って連れ帰ってあげたなど、漁師の優しさがにじみ出るようなお話がありました。

また、「浦安沖に日本軍が金塊を隠してGHQが接収したというが」という質問は、戦後すぐのおはなしはさすがに知らないとのことでしたが、いろいろな質問が飛び出しても、丁重に答えてくださいました。

浦安の開発は、最初は北栄や富士見の田んぼの埋立から始まったこと、当初都内のビルの取り壊しの残土が持ち込まれたのを、当時の熊川好生町長が規制し、良い土で埋立ができるように変えて話。一期埋立地区はともかく二期埋立の高洲や日の出は良い漁場だったので、一期埋立終了後も漁ができたこと、漁業権放棄までは、論議や争いもあり、特に年配の漁業者は抵抗したが、水質悪化で不漁が続いた中で、ついに全面放棄をしたことなど話は尽きませんでした。

漠然ともっていた漁師のまちのイメージが、生き生きとたちあがり、いつまで聞いていても飽きないような素晴らしいお話でした。高津様ありがとうございました。